東京六本木・サントリー美術館で2024年9月1日(日)まで開催の「徳川美術館展 尾張徳川家の至宝」を観た。今回の展覧会は初音の調度と源氏物語絵巻という源氏物語をモチーフとした重要作品が目玉。江戸時代のトップクラスの工芸品や絵画を一望することのできる展覧会で行って良かった。
展覧会のテーマ
尾張家に伝えられてきた大名文化、尾張家の格式や歴史を雄弁に語る作品に目を向け耳を傾けることに開催の意義と徳川美術館学芸員。
徳川美術館は大名家のコレクションとそこに培われた文化を伝える随一の施設。他の大名家のコレクションは散逸してしまっているとのこと。
展示内容
印象に残った展示物について
会場の入り口を飾るのは徳川義直(尾張家初代)が着用していたとされる銀溜白糸威具足。背景に大きな葵紋が飾られていた。第一印象は大袈裟で悪趣味だと思ったが、戦の時に大将がいる場所イメージだと気が付いてからは理解した。
刀類
見方がわからない。照明をぎろりと反射していて、晴れた日は刀が振るわれる場にはいたくないと思った。
刀の図解があったのが良かった。サントリー美術館は、展覧会の図解が豊富で好きです。刀の各部位の名前、刀拵(初めて聞いた)のかくぶふんの名前。笄や目貫が展示されていた。どこの何だよ、と思ったが図解があったので理解できた。難しかった。
茶の道具
《唐物茶壺 銘 金花》見れてよかった。何かの図録で見た気がするから。良さはたぶん黄金色の釉薬。黄土色という印象だったのだけど、これを金と捉えるのだと勉強した。土の地肌が下半分見えているところも山並み見たいで多分いい。
《三島茶碗 銘 三嶋桶》千利休が持っていたとも伝えられる茶碗。利休みと言われる物ってもっと均整が崩れた物だと思っていたので意外。
能
これも見方がわからない。流派によって面の形式が違うらしい。めっちゃアップで見ないとわからない繊細な生え際表現。最前列の客にも伝わっているか謎では
茶の湯の壺が描かれた肩衣。面白い。狂言装束の中で最も特徴的で、日常卑近な図柄をあしらった洒脱な意匠が多いとのこと。
婚礼用具
《純金葵紋蜀江紋皿》三代将軍家光の娘・千代姫が尾張家二代光友に嫁いだ際の婚礼調度。3歳で政略結婚させられるなんて悲しすぎる
《菊折枝蒔絵調度》
梨地の婚礼調度は将軍家と御三家、御三卿の性質にだけ許される。梨子地は大量の金を要し、制作費がかかる。尾張家では正室の格式を保つ待受道具(嫁ぎ先が用意する道具)として、新調や家紋の付け直しを繰り返して数代にわたり使用してきた。
気になったワードなど
徳川美術館
昭和初期の美術館建築を代表する建物として国の登録有形文化財に登録されている。建物は帝冠様式の系譜にあると一般に言われているが五十嵐太郎『日本建築入門─近代と伝統』は、徳川美術館を帝冠様式とすることを①公立ではなく私設の建築であること②冠だけが「帝」=和風になっているというよりは下部もほとんどが日本建築のテイストであることの2点で疑問視している。徳川美術館の外観を知ることができて良かった。
名物
以下展示キャプションよりメモ。
楽器や茶の湯道具・刀剣などにおいて、優れた美しさと然るべき由緒を兼ね備えた品を示す用語。特に茶の湯や刀剣においては『玩貨名物記』や『享保名物帳』など、当時の名物道具を列記した、いわゆる「名物記」や「名物帳」に記載されていることが、現代における名物の条件のひとつ。
茶道具では松江松平家七代治郷が編纂した名物記『ここん名物類聚』がある。これを元におよそ桃山時代までの名物を「大名物」遠州およびその周辺で見出された名物を「中興名物」とし、これら以外の名物を「名物」とふんるい・表記する方式が近代以降普及した。しかしこの分類が全国的に普及していたとはみなせない。
現代でも名物の表記は統一されていない。理由として名物記の記載が十分に確認されていないことや、明確な基準が確立していないことが大きい。本店では「玩貨名物記」以前の名物記に記載された茶の湯道具を「大名物」と表記
江戸時代には各家独自に名物と称した道具は御家名物と呼ばれる。
元禄年間
筒井筒蒔絵硯箱について「元禄年間の作にしては古様な形態で製作年代はこれより遡る」とのこと。江戸時代の歴史を分けたときに元禄年間のほかどのような時期があるのか、それぞれの時期にどのような特徴があるのか気になった。