20260221 前髪なしとは前髪がないことではない
今週のスマホの使用時間の平均が1日9時間を超えた。今日は14時間だ。

SNSや女性向け掲示板、時々動画サイトを見ていて本当に有益なことがない。有益なことはほとんど何もないけれど、もっと早く知りたかったという学びがあったので記録をする。
それは前髪なしとは前髪がないということではないということ。
今の自分の髪型はストレートパーマをかけた胸のあたりまでのロングヘアだ。ワンレングスで前髪はない。仕事中は髪の毛を一つに束ねることが多いのだけれど、悪い意味で年齢不詳な印象になる。顔周りの毛を少し垂らしてみたら印象が明るくなるかと試してみたけれど、胸まである髪がたらんと左右に落ちている姿は余計だらしがなく見えた。
顔周りの毛を巻いてみたら印象が変わるかもしれないと思った。ので巻いた。髪を下ろしている間は少し華やかな印象になった。巻いた髪と巻いてない耳から後ろの髪の差に違和感があった。浮いた感じになる巻いた顔まわりの毛を残してひとつ結びにしてみた。おしゃれを頑張ろうとしているがぱっとしない人、という印象になった。
YouTubeでヘアセットの解説をしている動画を調べることにした。一番の目的はひとつ結びの見栄えをよくすること。AYAMAR美ヘアチャンネルというハキハキした美容師がヘアセットを解説する動画を見つけた。
ひとつ結びのコツを理解した。顔周りの髪のセットについてもっと詳しく知りたくなった。
AYAMAR美ヘアチャンネルでヘアセットを実演するAYAMARの髪型は、顔の中央部は目と眉の間の長さ、黒目から顔の外側にかけては顎下くらいの長さだ。前髪がある人向けの動画だ。そう思った。
前髪なしのヘアセット動画がない。「前髪なし 顔まわり 巻き方」でYouTubeもGoogleも検索した。ロングヘアの顔周りのヘアセット動画は出てくる。でも出てくる動画の女性の前髪は、短い。私のような顔まわりの毛が胸まである場合のセット動画が出てこない。「前髪なし」「前髪 長い」でヒットする動画に登場する人物の顔周りの毛の長さは、長くても顎下までと「短い」。
出てきた動画。
私が間違っていました。「前髪なし」の顔周りの巻き方を真似しても、説明のない頬あたりから下のパーツの収まりが悪い。自分の髪の長さにあった動画はない。でもそれは、動画がないことがおかしいのではなかった。前髪なしとは顔まわりの毛にハサミを入れていないという意味ではなかった。顔周りの毛を下ろしたときに目にかかり横に流す必要のある長さ以上。下は大体顎下1cmくらいのことを指している。それがおしゃれを実現できる現実的な「前髪なし」の意味だった。
「前髪なし」を作ることにした。「顔まわり 切り方」で調べたところ、AYAMAR美ヘアチャンネルの2種類の動画が出てきたので早速みた。
初めてなので、失敗をしてもリカバリーがしやすいように、切る量が少なそうな韓国風前髪の動画を参考にした。流行の前髪の厚さは指3本分という解説があったが、怖いので指2本にした。
15分くらいかけて顔周りの毛を短くした。多分うまく行った。少し物足りない感じがして切る量を足したい気持ちをグッと我慢してセットの練習をした。切った髪に混ざった2、3本の長い髪を切って完成とした。
すごく褒められた。帰省をして友達や母親にあった。髪の毛がかわいい、セットがすごく上手と声をかけてもらった。前髪ともみあげの毛を巻いて残りの髪を後ろでひとつにまとめた髪型だ。よかった。前髪はカットの動画で紹介されたゆるく耳の側に流れるセットが理想だけれど、まだ慣れなくて頬の横あたりでひと回りくるっとしている。それでも褒めてもらえた。嬉しい。
「前髪なし」の場合でも顔周りの毛をある程度切り揃えることが明るい雰囲気作りの早道である事をもっと早く知りたかった。「前髪あり」は目にかからないくらいの長さ。「前髪なし」「前髪長め」は長くても顎下1cm。ワンレン胸までの長さでひとつ結びは難易度が高すぎる。顔まわりの巻き方を調べただけでは「切りましょう」という直接のアドバイスは出てこなかった。湯水のように動画視聴に時間を使ってよかった。
最後に結び方のアレンジで、良かった動画を参考に紹介する。結んだ髪の頭の側に作った隙間に、髪の束を上から下に通してねじりを作るヘアアレンジ、くるりんぱについて。
これまで何度もやってみたことはあるのだけれど、まとまるどころか、ボサボサになってしまって苦手意識があった。
この動画を見て、仕上がりがかなり改善された。
ゆるく縛る、引き締める時は下に引っ張るように、この2つが特に良かった。自分では気が付かないポイントだった。
顔まわりのセットの練習と並行しつつ、くるりんぱを多用しているYouTube、Instagramヘアアレンジを真似して練習したい。
20260124-25 陶芸体験
陶作へのリスペクトが誕生
1月24日土曜日
電動ろくろ体験をした。
重ねられるように同じ形・大きさ・同じ深さを目指して初の電動ろくろを体験。不揃いの茶碗が3つ出来上がりました。

ろくろ回し前、先生がセッティングしてくれた様子。ここから①親指の腹で深さを決め②狐の手にして粘土の高さを出し③口の広がりを決めるという手順で目指すうつわの形に近づけていく。

体験、楽しかった。でも難しかった。
粘土の扱いの難しさを実感すると、これまで美術館で見てきたやんごとない重要文化財レベルの焼き物がとんでもない技術でできているのだとリスペクトが深まった。
古い焼き物の展覧会を見にいくと、「日用雑貨品として大量生産された」と解説された皿を見ることがある。電動ろくろ一本槍では、規格化された大量生産は難しいと思う。
疑問に残ったこと
・陶器の大量生産が可能になった時期はいつか
・陶器の大量生産にろくろは使われたのか
・使われたとして、電動ろくろではないろくろのスピードを出すことにどのような方法が取られていたのか
平安時代の末から、堅く耐水性に優れた焼締(やきしめ)陶器が常滑(とこなめ)・渥美(あつみ)をはじめ越前(えちぜん)・信楽(しがらき)・丹波(たんば)・備前(びぜん)など各地で見られるようになり、中世を通じて実用器として大量に生産された
日本での実用器の大量生産は平安時代の末からであることがわかった。どのような技法で作っていたのかをより知りたい。
1月25日日曜日
東京・上野の東京国立博物館をみた。
日本の陶器に注目したかったので、本館の日本美術のジャンル別展示、13-3陶磁の部屋をよく見た。

平安・12世紀の壺。
これは粘土紐巻上げ法で成形されていて、ろくろは使われていない。

安土桃山〜江戸時代・16〜17世紀の皿。
正円に近いが歪んでいるところが気になる。
当時の美意識で歪んでいるのか、技法が発展途上にあるゆえなのか判別がつかない。
ColBaseを参照してもよくわからなかった。

伊万里 江戸時代・17世紀の皿。
これは磁器。同じ形・大きさの器が複数。
型を用いて成形する型打ち成形と糸切り成形は、同形のものを複数製作する「製品」としての性質を持つ伊万里焼と相性が良く、作例もたくさんあります。学芸の小部屋 -戸栗美術館-
型打ち成形と糸切り成形で同型のものを大量生産できていた可能性があります。
またいろいろ調べてみようと思います
今後
2026年2月2日(月)~2026年4月7日(火)まで、平成館考古展示室は展示環境整備のため閉室します。
というお知らせがあった。
次回は考古展示室をよくみたい。
等々力の五島美術館の中国陶磁展を見に行きたい。
駒場の日本民藝館の3月からの 河井寬次郎と濱田庄司の展覧会に行きたい。
気になっていることまとめ
・東京国立博物館が提示する「日本美術」の正当さに疑問を持っている。評価の枠組みが作られた経緯に興味あり。
・たくさんの収蔵品と充実した解説文が東博の魅力。今は評価の枠組みについての批評的な目線を身につけるよりも、個別の収蔵品に関する知識を身につけることの優先順位を高くする
・コレクションが時代・地域の特徴の手がかかりになる。国立博物館は寄贈品が多い。寄贈したコレクターの収集傾向や、コレクターズコミュニティの歴史や背景に興味が湧いている。
・日本民藝館のサイトの沿革で、朝鮮併合時代の活動について触れられている。大日本帝国時代の収蔵品収集の背景と、現代において当時の活動がどう総括されているかを知っておきたい。
20260117上野駅と日記
地方出身者が初めて上野駅に降り立ったときに感じる「そりゃこんな立派な博物館や美術館が身近にあって入館料数百円ならさぞかし文化的な成熟が進むでしょうね、クソッ、ケッ」という悪態や呪詛と一緒に焼き上げたパン
— カブト (@kabuto_lr) 2026年1月15日
地方出身者が初めて上野駅に降り立ったときに感じる「そりゃこんな立派な博物館や美術館が身近にあって入館料数百円ならさぞかし文化的な成熟が進むでしょうね、クソッ、ケッ」という悪態や呪詛と一緒に焼き上げたパン
上品ではない言葉を使った意地悪なネット上の匿名の投稿を引用して今日の日記がスタート。
2026年1月16日は停電でJRが止まり、上野駅が人で満杯になった日だった。
私にとっての東京の思い出は間違いなく、東京国立博物館から始まる。地元在住の大学時代、初めての東京旅行の際、インターネットの知り合いに案内をしてもらった。東洋美術に造詣が深い氏の解説に感銘を受け、東京という場所は審美眼や語りの力を磨いてくれる場様なのだと強く憧れた。権力のある人が培ってきた美術や文化の歴史の本流のようなものに憧れた。本来なら近畿圏で受けるべき衝撃なのかもしれないけれど、地元札幌の高校から向かうはずだった京都行きの修学旅行を欠席しているのでその衝撃は東京に譲られた。
東京に住むことになって、上野公園が徒歩圏になるような場所を条件に物件を探した。もう何年も今の場所に住んでいるけれど、結局家で一日中ネガティブな気持ちで布団にくるまり画面をスクロールしていることが多く、憧れていた国立東京博物館も片手で収まるほどしか行っていない。春には引っ越しが決まっている。関東圏の外へ行く。
ここまで記事を読んでくれてありがとう。ここ以降も取り止めのない記録です。
今日したこと:小さな子どものいる学生時代の同級生と上野公園で遊ぶ
- 松永天馬「君とフランベfeat.川本真琴を爆音で聴いた
- 待ち合わせの時間までに東博の年パスを買った
- 国立子ども図書館に行った
- レンタルビデオ屋に『マスク』『プラダを着た悪魔』『耳をすませば』のDVDを返却した
- 東博の東洋館をみた
- 八宝菜を食べた
- こたけ正義感の『弁論』をYouTubeでみた
松永天馬「君とフランベfeat.川本真琴を爆音で聴いた
これは元気になる曲。爆音で聴きながら待ち合わせ場所へ向かった。松永天馬ソロ名義曲は『不惑惑惑』が好きだ。ソロ名義曲は男のクネクネした恋愛の歌が多いという先入観で聴いていたんだけど、『君とフランベ』はちゃんと聴いたら年上の女が相手の気持ちとか全然考えないでめちゃくちゃしているだけの歌だった。女、「傷つけ合いたい」と言いながら傷つけることしかしていないです。加害性の強い女の反省のない恋愛全力ムーブに感謝。ありがとう、元気が出ます
待ち合わせの時間までに東博の年パスを買った
待ち合わせの30分以上前に上野公園に次ついたのでふらふらした。東京国立博物館(略称東博)の年パスを買った。限りある関東圏での休日残機をロストする場所としてふさわしい。
国立子ども図書館に行った
友人と合流。上野公園北側の端っこにある国立子ども図書館へ行った。
途中、東博でボールプールなどがある未就学児向けの特別イベントに心を惹かれたが、未就学児本人は絵本を希望したため、予定通り図書館へ。当たり前の優先順位。
国際子ども図書館は撮影禁止の場所が多かったため写真なし。子どもとのふれあいの時間。

今日は非常に暖かくて上野公園を友人と散歩しながら乗る電車が同じだったので公園内を遠回りしつつ帰宅。鳩を沢山追いかける。
レンタルビデオ屋に『マスク』『プラダを着た悪魔』『耳をすませば』のDVDを返却した
家に借りてるDVDがあったので返却しにレンタルビデオ屋へ行った。
『マスク』笑いどころについていく元気がなく20分くらいで観るのを止めた。
『プラダを着た悪魔』丁稚奉公みたいな激務に対する適切な努力として提示された解が、「会社にあるハイブランドの服をセンスのある同僚にコーディネートしてもらうこと」だったので何だそれと思った。汎用性がない回答だと思った。でも、優秀な同僚に社内資料の活用方法を教わるという解釈をしたら自然なことかもしれない。予告編で流れた『Gガール 破壊的な彼女』という映画が面白そうだった。完全に身勝手な女の身勝手は恋愛の映画っぽい予感。
『耳をすませば』みなかった。
『かぐや姫の物語』『海が聞こえる』をレンタルした。残りの休日を家で映画を見ることで浪費している場合ではないのだが。
東博の東洋館をみた
外に出たついでに東博まで行った。私は日本館より東洋館を見るのが好き。日本のすごいもの、よりも、東洋のすごいもの、の方が、権力がありそうな気がするから。
いつも東洋館の地上を見て力尽きるので、今日は地下から見た。地下は「クメールの彫刻」「東南アジア」「インドの繊密画、アジアの染彩」のセクション。
クメールの彫刻、石に刻まれた繊細な紋様の繰り返しに圧倒された。

インドの展示ではクリシュナ図を見れることを期待していたが、見れなかった。前に本から模写をしていた収蔵品。

東博の100選を模写していたことがあった。
地下を見た後は、中国の陶器をみた。横河民輔寄贈の作品の写真を撮った。

博物館にいるときは固有名詞が沢山出てくることに困惑する。「受験で世界史・日本史を選択していればよかった」「大学の勉強をもっと真面目に受けてればよかった」ということを考えながらみる。知識の無さ・価値判断のできなさ・今後ブログに書くだろうことの内容のなさに悲しい気持ちになる。
八宝菜を食べた
豚肉とエビとキクラゲが美味しくて最高だった。
こたけ正義感の『弁論』をYouTubeでみた
『弁論』袴田事件をテーマにした前回の方が面白かった。最初の、客席を育ちがいい悪いでいじることが後半でひっくり返ることは予想できていたけど、なんか乗れないなと思って、流し見をする形になってしまった。いいスーツを着ていた記憶がある。いいスーツという価値判断をした。
今後したいこと
・川本真琴のアルバムを古い順から聞く
・東京国立博物館にできるだけ行く
・『Gガール 破壊的な彼女』(2006)を観る
・2026年1月17日現在の国立博物館東洋館で見つけた横河民輔コレクションからの展示品リストを写真付きでブログにする
・関東圏から離れたら日本史・世界史の勉強をする
・土日に本を読んだりするのはなんか勿体無いので土日は展覧会や建築を見たりする
・レンタルビデオ屋にDVDをすぐ返す。
20260101 2026年初詣
初詣に行った。
身の丈に合う幸せをお願いした。
おみくじを引いた。
物ごとひかえめにし心正しく身を守ってあまり進んでしない方がよい
小吉だった。
あまり欲張りしないで生きていたいという今の気持ちをなぞるような言葉書いてあった。
2026年の目標は欲張りしない事です。
心配なことがあります。
夢や情熱を持たない自分が、友達に友達と思ってもらえるのかということです。
友達には明るい姿を見せたい。今それが難しくなっている。
やりたいと思っていること
今、具体的な目標を掲げても達成できる自信がありません。自信はないけれど今やりたいと思っていることを書きます。
・2025年に受けた資格試験の振り返り記事を書く
→週ごとに何をどういうペースで勉強したか。当日の動きなどを記録に残しておきたい
・菊岡倶也『建設業を興した人びと』を読み切る
→15%くらい読んで面白い本。自分のいる業界のことを知れるという点でも面白いし、日本の近代化が進む時代のダイナミックさにも魅せられる。
・日埜尚彦『日本近現代建築の歴史 明治維新から現代まで』を読み切る
→面白いけれど読み差しになってしまって勿体無いので読み切りたい本。
・横河民輔の設計した建物、寄贈した美術品を見る
→ 横河民輔は菊岡倶也『建設業を興した人びと』に登場して面白かった人。三井系の設計を担当し、日本に鉄骨造の技術を持ち込んだことで建築家として名のある人。それだけでなく、美術蒐集家としての一面ももち、東京国立博物館にたくさんの貴重な美術品を寄贈している。横河コレクションと呼ばれているらしい。重要文化財として登録されているものも多く気になる。
書いてみたら、意外としっかりやりたいこと、自分の意思があった。消えてしまったと思っていたから安心した。
欲張りは禁物なので、全部できなくてもいいと思っています。
今年は、暗い性格が少しでも明るくなるように、ブログを書く中で自分の前向きなところを見つけていきたいです。*1
*1:去年の年末年始も気持ちが沈んでいた。今年度末はよく寝れるように、「いる」ということが辛くならないようにありたいです。2025年上半期の目標 - 潮汐記録帳
20251231所感
元気が非常にない。記事を書くことができない。

改善を目指すことが苦しい。
2026年は明るく前向きに過ごしたい。
20251218 なりたい自分2026
来年の目標についての記事は何本も書こうと思っている。書くことで自分の直感的にやりたいと感じていることと、客観的に本当にやって意味のありそうなことを整理したいという理由だ。
ブログを書く上で気をつけたいと思っているのは読み返しやすく記録する意味があることと自分以外の人が読んでも楽しいことということだ。誰かの来年の目標を読むことは、「よく生きようとしてるな」と腕組み応援姿勢になれるのが楽しいと思う。だからと言って何度も目標を宣言するのは楽しさ半減、自分だけが楽しい記事になっていると思う。申し訳ないけれど葛藤する様を含めて楽しんでねと思って記事を公開する。
目標の立て方に悩んでいる
1年の目標を決めることは理想の自分を設定して時間・お金・体力をどんなふうに分配しようか考えることで、一度に3つ以上のことを考えることになりかなり難しい。
まずは、理想の自分想定をしなくてはいけない。自分がどんなことで幸せになっているのかイメージを膨らませる。
卑近なことでいうと、スマホを見る時間が減ったら自分のことを好きになれそうだし、貯金の額がいっぱいになっていたら幸せそうだし、運動をする習慣を身につけたらハキハキと過ごせる時間を長く作れそうだ。
でも、これらを一年の目標にするって、それって私の人生ですかと思ってしまう。時間・お金・体力のリソースを増すことを目標にするより、それらをどうやって使うか。そういう目標の方が応援してもらえそうな気がする。もっと自分の興味関心や切実さに基づくなりたい自分のイメージを持ちたい。
なりたい自分
率直にいうと、愛される人間でありたい。愛してくれている人たちに報いる人間でありたい。私の思う愛される人間は義理堅い人間だ。
自分は結構周りに気を遣ってもらうことで成立していることを2025年は強く感じた。周りの気遣い、愛されることによって自分が成立している。
それなりに歳もとった。注がれてきた愛情、ドライにいうと他人が私にかけてくれたコストに対して報いる盤面にある。
愛される人間のイメージ
愛される人間というとイメージされるものが大業すぎるかもしれない。関わりを持てた人たちとお互いに尊重し合える信頼し合える関係を維持継続していきたい。そうなれば幸せになれると思う。
自分のコミュニケーションの切り札としていたのは悩み事相談だ。くよくよして、周りに慰めてもらうことで人との接点を作っている。それ以外の人との関わり方を身につけてたい。理想の人間の在り方は、専門分野を持って良い語りができる人物だ。明るい話、楽しかった話、自分の得意分野の面白い話で人と繋がりたい。専門分野を磨く。目標になりそうだ。
愛される人間は中身一点勝負だけではなくて、場のルールに則した形で自分を出すこともできる人だと最近わかった。コミュニティに所属するための「参加費」をしっかり払っていかなければと思っている。でもこれは難しくて、周りにゲームを趣味にしている友達が多いから、switch2を買いたいと思っている。でも私は今、ゲームに熱中して楽しんでいる自分をイメージできない。あまりこれは良いことではないように思う。
なりたい自分、愛される自分、それで幸せになっている自分。イメージがうまく固まっていない。残り2週間で答えが出るものではないけれど、配分すべき時間とお金と体力はどんどん目減りしていくので、暫定的にでも目標で区切りをつけていきたい。人生は戦い。
20251201 2026年にやりたいこと
「同じ話を何度書いてもいい」という事実に目から鱗が落ちたと言っている漫画家を、複数見たことがある。ブログだってそう。そうかも。そうであってほしい。そんな感じの書き出しで今年の振り返りから来年の目標を立てるという記事を書いたら、アプリのエラーで2回記事が消えた。
2025年を振り返って
2025年は、資格勉強と個展に力を入れた。このふたつをやってみて、かなりよかった。よかった理由として、①自己理解が深まったこと、②人間関係の喜びがあったこと、③そもそもが楽しかったこと、の3つがある。
かなり幸せな一年だった。
2026年にやりたいこと
2025年と同様幸せな年にしたい。2025年が幸せだったのは資格試験への熱中と個展準備があってのことでかなりイレギュラーで再現性はない。資格は多分不合格なのだけど、資格学校にかかるお金が高額なので今年はやるつもりはない。
2026年は首都圏からの引き上げを検討しているので、首都圏っぽいことをし尽くしておきたい。
皇族・貴族・財閥とかが築き上げてきたハイカルチャー的なもの、都市の大衆文化の歴史を感じられる場所、享楽的な食文化を楽しみたい。
今の行きたい場所は
・赤坂離宮
・旧岩崎邸
・大田美術館
・セララバアド
・PÂTISSERIE ASAKO IWAYANAGI
の5つ。
交通の便を生かして旅行に行きまくるということも考えたけど、まずは東京で行き損ねたところとして。
行きたい場所を書くことの意味は明白。同行してくれる友だちを探していますということです。